旅立った君へ

こんにちは。

眠れないので駄文をつらつらと。





私には彼氏がいました。

あれは忘れもしません。
2012年10月15日に彼は旅立ちました。


旅立つ数ヶ月前から鬱状態が酷く、希死念慮も強くなっていて、しょっちゅうOD(オーバードーズ:薬を用法以上に大量に飲むこと)をしていました。

その度に駆けつけては薬を排出しやすいようにポカリとなにも食べていないだろうから軽い食事を差し入れに行きました。
私はその頃全く働けない状態だったのでいつでも駆けつけられたのは幸いでした。


無くなる数日前もたしかODして、これはそろそろ本気でヤバイと思ったので10日間ずっとそばに居続けました。

しかし用意していった私の抗うつ剤が底をつき、彼が居なくなってしまうことばかり考えてしまい、眠ることもできずボロボロの状態でした。


彼がタバコを買いに出掛けた時も、なかなか帰らないので心配して探しに行きました。

歩いて5分もしないところに自販機があるのに15分しても帰ってこなかったので…。

結局彼は少しはなれたコンビニまで行ってたそうですが、姿を見たとたん涙が溢れて「死んじゃったのかと思った…帰ってきてくれてよかった…」と号泣しながら彼を抱き締めました。


今思えば、ちゃんと長期滞在を見越して手持ちの薬を用意していけば、もっと彼に明るく接する事ができたかもしれません。

ボロボロの精神状態で、寝てもいなく頭が回らない状態で、一体何の役に立てたのでしょうか…。


滞在して10日経った日、翌日が私の精神科の診療日だったので一旦家に帰ることにしました。


私は兄と二人暮らしなのですが、長期滞在すると兄の機嫌が悪くなり、家の物がよく壊されていました。

ある時は冷蔵庫に包丁を刺したあとがあり、さすがに怖くなり女性保護センターに相談しました。


そんな経緯があったので、彼は兄と私の関係を心配していました。

私は兄への恐怖もありましたが、それより彼が居なくなってしまうことが怖くて仕方なく、独りにしたくないので必死に私の家に一緒に来るよう泣きながら説得しました。

彼はやつれた顔で「大丈夫だから」と私を諭し、私は後ろ髪を引かれつつ家に帰りました。


家に帰り真っ先に彼に電話をしました。

彼は兄とのことを気にしてましたが、幸いその時はなにも起きていなく、彼は「よかった…」と安心していました。


その一時間後、彼は旅立ちました。



私がそれを知ったのは翌日の朝。
警察から留守電が入っており「○○さんが亡くなられました」と言っていました。


時間が止まりました。


何がなんだかわからず、暫くしてから状況を理解して号泣。

すこし頭が回るようになって、とりあえず私の主治医に連絡し、即診察を受けることに。

行く途中も待ち合い室でもずっと涙が止まらなかったのを覚えています。



警察の方の提案で、数日後に彼のご家族と一緒に、彼に会いに行きました。

彼のご家族とはお会いしたことがなく、正直「お前のせいで死んだ!」と言われるのではないかと思い、怖くて仕方ありませんでした。

しかしご家族に会ったとたん、お母様が「辛い思いをさせてごめんね…」とおっしゃり、ふたりとも号泣しながら肩を抱き合いました。


それから彼と対面。

変わり果てた彼の姿に絶句しました。

今でもあの光景は忘れられません。
大切な人の最期の姿ですから忘れたいとも思いませんが。

頭を撫でてあげたく、警察の方に「触れてもいいですか?」と聞きましたが「死後の体には様々な菌が表面に出てきているので触らないで下さい」と言われました。

きっと菌のことより、死後硬直して冷たくなった体を触れば、余計ショックが大きくなると思われたんだと思います。

でも私はすでに両親を亡くしていますので、その時に死後の体に触れているので大丈夫だったんですけど…警察の方が止めるので我慢しました。



荼毘(遺体を火葬すること)までに日にちがあり、ご家族は彼の家の片付けをされていました。

私の私物も大量にあったので、持ち帰れない分は宅配便で送っていただきました。

その中にあったのは、私の私物の他に彼がゲーセンで取ってくれたカピバラさんたちと、彼の愛用していた枕と洋服でした。

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彼愛用の枕。何かを抱いて寝る習慣があるので毎日抱いて寝てます。

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彼がよく着ていたトレーナー。部屋着にしてます。(夕飯こぼしたのでシミがついてます(;´д`))



そして荼毘が行われる日、私は彼の部屋に向かいました。
最期の訪問です。

そこは懐かしい物がなくなりがらんとしていて、寂しくなりました。

ご家族は彼の部屋で待っていてくださり、事前にお願いしていた彼が毎日身に付けていたカラビナのキーホルダーを受け取りました。

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今は私の鍵を守ってくれてます。


そして荼毘を行う葬儀所へご家族と向かいました。

棺桶に入った彼と最期の別れをし、ご家族にご了承を受け彼に宛てた手紙を棺桶に乗せ、彼は炎の中に去っていきました。

お骨になるまでの間、ご家族と彼の話をしていました。
私の知らない彼を知れて何だか嬉しかったです。

お骨になった後葬儀所を出て、高速バスの出る駅までご家族とご一緒しました。

別れ際お父様が「長い人生の中でこんな悲しい思いをさせてごめんなさい。どうか負けることなく今後の人生を大切に生きてください」とおっしゃられました。

自分の息子を亡くして辛いのに、私を気遣ってくださる優しさ…本当にお優しいご両親です。

これが彼との本当の最期。
私はご家族にお願いしてお骨になった彼を抱かせてもらいました。
「ありがとう。今までお疲れ様…」
そう言うとご両親は涙していました。

彼をご家族にお返ししてお礼を言い別れました。



彼の実家は熊本。
しかもなかなかの大家。

荼毘だけだったのは、遺体を熊本まで連れてはいけないから。
熊本に帰ってから葬儀をあげたんだと思います。


私が彼にいつまでもとらわれてると知ったらご両親は辛いと思い、その後は連絡はしませんでした。

唯一、四十九日に一度お母様の携帯に電話をしたのですが、忙しかったのか何度かけても繋がらず、留守録の設定もされていなかったので諦めました。

あまり執着してはご迷惑だと思い、それからは一切連絡はしていません。
本当はお墓参りに行きたいのですが、自分なりの供養で弔っています。





長々と駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

いまだに彼を思い出す度に後悔の念と涙が止まりませんが、それでは彼は安心できませんよね。

自分の人生のためにも、はやく新しい道へ一歩踏み出したいと思っています。